極私的80年代遊戯事情

テレビも手に入れた。ゲームするためのパソコンも手に入れた。もはや家庭用ゲーム機必要ねえっスよ。とイキり気味になっていたあの頃。実生活では大人しめなのはご愛嬌。
環境は手に入れたものの、じゃあずっとゲームやってたのかと言われればそうでもなく、小説、音楽、漫画あたりをグルグル回していた。アニメは? というと、「機動戦士ガンダムZZ」が終わった後、スッと(一時期だけど)熱が引いてしまったのであった。全く観なくなったわけではないけど、どうもそのあたりはゲーム中心の思考になっていたのでスルーしていたのだと思う。
おじさん14歳あたりはバブル景気も来ようか過ぎようかというあたりで、世間の景気がよかった時代。洋画邦画問わず色々な映画が上映され、雑誌でその手の記事を読むたびに行きたくても行けない飢餓感に苛まれていた。そう、周りの景気はよくてもおじさん直近の景気は良くはないのである。TVも予算が潤沢で、洋画話題作の放映権獲得戦などを繰り広げていた。その時抱き合わせで売られたB級映画の数々は深夜枠に放映され、それをおじさんは何気なく観て心の栄養としていた。
小説といえばこの辺りだといわゆるファンタジー小説が隆興してきた時期でもある。国内では「グイン・サーガ」をはじめ、それよりもライトな(そもそもTRPG出身)「ロードス島戦記」等が人気の中心となりつつあった。両方とも読んでいたおじさんだけど、何というか、ひねくれたところがあるせいで、それらよりも「エルリック・サーガ」や「永遠のチャンピオン」シリーズ等に没頭していた。「メジャーなのはちょっとね〜」みたいな10代男子にありがちな逆張りスタイルである。こじらせにはこじらせな友人が集まるもので、「いかにマイナーなものがよいか」を日夜滔々と語るような人間関係が形成されていた。
音楽とTVは密接な関係にあった。折しもバンドブームも始まろうという頃でもあり、深夜枠では毎週どこかの局で音楽番組が放映されていたものだ。それらを観て聞いてCDを買ったり、関連するラジオも聞いたり、そこからさらにまた新しい音楽を知っていく…。そんな暮らしだった。そうそう、前述の通りなにせ景気がいいもんだから海外アーティストなんて呼びまくっていた。適用にTVを点けておくと、来日公演に合わせた特集番組などが流れてくるので、気づいたら覚えてしまったなんてこともしばしば。さらに、なぜだかわからない(いまだにわからない)が、兄が70年代フォークソングのカセットテープを大量に持っていたので、それらもこっそり聴きまくっていた。
とかく80年代はおじさんにとっては趣味嗜好、知識思想を大いに揺さぶられた時期なのだ。世間にまだ余裕がある時期だからこそなのだが、80年代文化は既成の価値観を破壊するような「なにか」を育んだ時代なのではないかと、個人的には思う。そこがいまだに80年代に惹かれる理由でもあるのだろう。
「余裕がある」というのは大事だ。余裕があるからTV、ラジオや雑誌等のメディアは実験的なもの、ニッチすぎるものをとりあえず出すことができた。多くの人には刺さらない、けど一部では大いに支持された、というものがいくつも出てきた。いわば受動的、というか交通事故に近い出会いがそこにはあった。
過去がよかった、というつもりはない。でも、受動的な出会いの場としての80年代のような空気を、現在のテクノロジーで再び生み出してほしい。そう願っている。そのくらい、この年代は熱のある時代だったのだ。

それはさておいて、パソコンゲームTRPG、ちょっとだけファミコン(友人宅でのプレイのみ)というゲームスタイルを貫いてきたおじさんに、いよいよモラトリアムからの脱却の時期が訪れようとしていた。そしてそれは、家庭用ゲーム機と向き合うという、大いなるシフトチェンジへの幕開けでもあった。