解消と根幹

再び昔の話をしよう。 自分内コンシューマ戦争に敗れ、屈辱も味わわされ、もう誰も信じない状態に陥ったおじさん。

友人・知人宅や秋葉原・デパートなどでのデモプレイコーナーでファミコンに触れ続けるという、なんとも歪んだプレイスタイルが主となっていたところに名案が。

そうだ、パソコンゲームをやればいいんだ…。

きっかけは叔父が訪問してくるたびにお土産として持ってきてくれた電波新聞社刊「マイコン」誌。

様々なパソコンゲームの広告が掲載されるなか、おじさんの目を釘付けにしたのはX1版「ゼビウス」の存在であった。

1985年、前述の電波新聞社より「オール・アバウト・ナムコ」が発刊された。デパートの屋上や、親同伴で入ったゲームセンターなどでナムコのゲームに触れていたおじさんにとってこれは夢のような書物だった。本屋に行くたびに立ち読みしてニヤニヤして…を繰り返しつつお金を貯めて購入したときはそれは夢ごごち。事あるごとに引っ張り出しては読んで、プレイすることができなかったナムコのゲームたちをうっとりと眺めていたものだ。

数々のラインナップの中でお気に入りの一つだったのが「ゼビウス」だ。 1983年に発売された「ゼビウス」は、1984年の段階ではすでにファミコンでも移植されており、これまた臍を噬む思いで皆がプレイする様を見ていたのだが、それと前後してX1版も発売された。 そこから1年、なんとかして「ゼビウス」で遊べぬものかと悩んでいた頃、さらにパソコンゲームへの思いを強くする出来事が起こる。

それは日本語版「ウィザードリィ」の発売である。その頃TRPG「D&D」をプレイしていたおじさんが「ウィザードリィ」の名と評判を知らぬはずもなく、「ゼビウス」とともに遊びたいリストに並ぶこととなった。

ゼビウス」はファミコンでも遊べるが「ウィザードリィ」はそうはいかない。じゃあパソコン手に入れるしかないじゃん! と思い立ったおじさんは、適当なことを言って親にねだった結果、本格的なパソコンを手に入れることとなった。その時選んだ機種は……「X1Turbo2」である。

「そこは普通88では?」と考える諸兄もおられよう。だがしかし、「ゼビウス」も「ウィザードリィ」もプレイできるのはX1くらいしかなかったのだ。なにより名前がいい。

しかしこの選択も、後年足を引っ張ることとなるのだが、これは自分の意思100%なので、未だに後悔はない。

というわけでX1Turbo2を専用モニタ&「ゼビウスジョイスティック同梱版込みで買っていただき(当時の値段で合計20万……)、納品後すぐに「ウィザードリィ」も入手。ついに念願のパソコンゲーム生活が始まったのである。

ここで嬉しい誤算があった。X1専用モニタにはTVチューナーが付いていて、アンテナさえ繋げば普通にTVが見られてしまうのだ(TVの制御もX1の売りのひとつだった)。TVが見られるというのが実に大きい。チャンネル争いも関係なくなるだけでなく、深夜に放送されている映画やバラエティ番組だって見ることができてしまう。

この頃おじさん約13歳。自分の根幹となる、ゲームとサブカルチャー的土壌が生まれた時でもあった。

なんか早口オタクみたいになっちゃったね。