育ちか生まれか

オタクになるのは生まれついてのものなのか、それとも育成環境によるものなのか。時々そんなことを考えてしまうのも、もういい歳だからなのかもしれません。そんなん人による、と言われればそれまでですが、おじさんがこの歳までオタクとして生きているのはこのふたつの要素のおかげなのです。そのきっかけをちょっと書いていきましょう。


幼少の頃、ザンボット3を見てしまい、トラウマというほどでないけど何がしかが心に爪痕を残したというお話は前にしたわけですが、ではそれ以降アニメとか見なかったのかと言われればそんなことはなく、75年からはゴレンジャーも始まってるのでちょいちょい観ていたし、その後のジャッカー電撃隊も観ていたはずなのだけど、どうも放送時間の記憶が一致していないので、まあなんかあるのでしょう。
ともかく、幼児であるからしてアニメだの特撮ヒーローだの、前書いたコンV前後の巨大ロボット系も「カッコイイ」という理由で見ていたものです(そういえばウルトラマンの再放送もやっていた。怪獣ソフビの足型シール集めて図鑑貰った)。
こういうものは歳を経ることにより生活世界が広がることによって執着がなくなっていく場合もあるのでしょうが、おじさんの場合はそうはならなかった、というよりそうなる機会を自ら失ったのかもしれません。


一応、人並みには外で遊ぶことはしていたけれど、5時過ぎたらまっすぐ家に帰って、アニメの再放送を観るという生活を続けていました。この頃は「カッコイイ」もさることながら「物語」の面白さにも虜になっていたのだと、今はそう考えます。誰かと一緒に遊ぶことよりも、「物語」を楽しむ方を選んだんですね。このように、自らの選択でアニメにはまっていたということは、ある意味で、オタクとは生まれついてのものなのではないかと思うのです。
そしてこの後、とある作品を知ることでさらなるオタク的な何かになるきっかけを得ることとなります。


そのアニメを知ったのは兄からの影響でした。「面白いアニメがある」と見せられたその作品は「機動戦士ガンダム」、第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」。終盤も終盤です。
兄がどこからガンダムの事を知ったのか、それは定かではないのですが、当時サブカルチャー誌だった月刊OUTが部屋に転がっていた記憶があるので、その辺りの影響なのでしょう。そう、兄は当時でいうところのマニアだったのです。
で、そんな兄に観せられたガンダムですが、マゼラン(サラミスかも?)から発進するジムや、そこで初めて観たガンダムをはじめとしたモビルスーツのかっこよさに心底しびれました。本当になんでこんな中途半端なとこからだったんだろう…。それはさておき、ここで「ガンダム」という言葉にここから取り憑かれることになるのです。
翌週、最終回「脱出」を迎えたガンダム。この頃のおじさんは純粋なので、「先週観ていたものがなぜもう最終回なんだろう」という疑問は特に持っていませんでした。基本的に流され体質なのです。兄はこの放送を録音しようと、買ったばかりのラジカセをテレビの前に配置しておりました。今では信じられない光景ですが、40年以上前なんてこんなんが当たり前だったんですよね。
いきなり最終回に放り込まれたおじさん(幼児)。なにがどうなってこうなったかさっぱりわからないけど、何か深刻なことが起きてるんだな、としかわかりませんでした。なにせわからないことを質問しようにも、それに応えるべき兄は録音に集中しているので物音を立てたら怒られるわけでそんな状況ではないのです。放送が終わり、録音も無事完了。さっそく成果物を再生する兄。一緒に聞いてみたもののやはりさっぱりわからない。が、しかし、ザンボット3の時と同じく、心に新たな爪痕がつくことになったのです。
ガンダムの再放送は比較的早く始まったような記憶があります。そこで改めて最初から観始めたのですが、まあ、ものの見事にはまったわけです。最初はやはりモビルスーツや戦闘のかっこよさに囚われて行きました。そこからのガンプラブームにも当然乗っかりました。が、その段階ではガンダムの持つ物語性をあまり理解できていませんでした。そこでまた兄がそんな自分に物語の良さをわからせるために色々な書物を貸し与えてきたのです。要するに今でいうところのマウント取りです。しかし純粋な小学生おじさん(81年なのでね)はそんなこととはつゆ知らず、降り注ぐ情報の雨を浴びまくっていました。この兄が与えてきた育成環境がおじさんのオタクとしての考え方をさらに強固なものにしました。


生まれついての感性と、知識・情報を浴びせ続けられた育成環境。このふたつがおじさんをオタクとして確立させ、思春期を経てさらなる強化を経て今に至るわけです。
オタクであることには後悔はまったくないのですが、どちらかが欠けていたら果たしてオタクになれたいたのだろうか。ちょっとそんなことも考えてしまいます。まあ、多分なっていたとは思うけど…今とは違うカタチにはなってたんじゃないでしょうか。

 

ここからさらに歳を経ると、興味の範囲が音楽や映画、小説、ゲーム等に広がり、それらが渾然一体となって自分なりの情報体系が確立されていきます。
なぜそうなるのか。世に出る作品が完成に至るには様々な要素が集まった結果であるということを知ったからです。作品に携わっている人たちのことまで気にし始めると、どうやら一方向だけでわかった気になるのは違うようだぞ、と感じるようなり、それらについてまで調べると、意外なところで自分の好きな別のものと繋がったりする。そういう楽しみも覚えるようになり、今に至っているのです。

 

ちなみに兄とはこの後、色々と確執を生むこととなるのですが、それはまた別の機会に。