謎本

謎本」というものの存在を少々疎ましく思っている。

ここで言う謎本とは「エヴァンゲリオンの謎」とか

「ワンピースの謎」とか、そういうものである。

これらの本は、一応作品を読み込んだ結果導き出された

何らかの仮説を一冊にまとめているものだ。

仮説を立てて考察する。確かに楽しいじゃあないですか。

同好の士とああでもないこうでもないと自説を開陳し「解」を求める。

そういう行為自体は大いに結構、好きなだけやっていただきたいのだが、

一部の「謎本」の類は手を変え品を変え何冊も幾冊も出してくるのだ。

…いや、多すぎない?

それでいて考察が外れても大した責任は取らない(取りようがないともいえる)。

そんな無責任なことでいいのか? と疑問に思ってしまうのです。

自説が違ったら「この前のはごめんなさい、違ってました。」くらいは

言ってほしいのだ。

何の反省もなく「じゃ、次いってみまひょ」みたいなのはあまりにも軽すぎないか。

 

クリエイターの紡ぎだす物語・作品は、彼らがそれを作り出すまでに見聞きした

様々な影響が渾然一体となって吐き出されるのだ。

つまり、彼らがもつバックボーンを理解せずして本格的な考察はできない、はず。

そこまで踏み込んでこその考察じゃないか、と個人的には思っている。

 

謎本」も今では鳴りを潜めつつあるが、単に河岸をYouTube等、動画配信サイトで

自説展開をしている。

そこでは様々な作品に対していろいろな牽強付会な考察が「●●に気づきました…?」という具合に発表されている。

そしてやはり、自説が外れてても「やーメンゴメンゴ。じゃ次行くね」と

懲りずに「お気づきだろうか…」とやっている。

その無責任なスタイルに憤り、呆れるばかりである。